鋳物師谷口家の墓
「長瀬町内に屋敷跡の残る谷口家は、藩政期に筑前芦屋から佐賀に移りのち長瀬町で銅鐘(肥前新鐘)などの数々の優れた作品を造った。
寛永14年(1637年)に造られた英彦山の銅の大鳥居には“御用鋳物師谷口清左衛門尉長光”の名が記され、彼の代表的大作である。このほか大堂神社(現佐賀郡諸富町)の鳥居や円蔵院の鐘をはじめ、寺鐘・銅鼓・鰐口などの鋳物を手がけ、広く他国にも販路をもっていた。また嘉永3年(1850年)佐賀藩の反射炉が築造されたとき、伝統的技術を生かし、日本最初の鉄製大砲鋳造に力を尽くした。谷口家は長瀬町に居住した鍛冶屋の代表格であり、明治維新後はこの周辺に谷口鉄工場を起こして、佐賀の近代工業の礎を築いた。」 |