史跡 大隈重信旧宅
「この建物は今から二〇〇年ほど前の天明・寛政の頃建てられた緑高三百石取りの建物と云われている。
最初は佐賀特有の凹型の屋根を持ったクド造りの建物で、藁葺、木造の平屋であった。
大隈家は代々兵法家で、特に父信保は、荻野流砲術家として名声があり、禄高三百石の石火矢頭人(砲術長)であった。
幕末、長崎警備につき、砲台勤務で活躍した。
天保三年(1832)信保はこの家を買い取り、同九年二月十六日、この家で重信が誕生した。
重信が六歳のとき藩校弘道舘に入学したが、母三井子の考えによって、勉強部屋が二階に増築され、これが今の家の中央部に位置している。
大正十年(1921)大隈重信生家保存会が設立されたとき、生家の管理人を居住させるため、東側のカマヤの部分を増改築して現在の姿になったものである。
昭和四十年、明治の元勲大隈重信侯の旧宅として、国の史跡として指定を受けた。」 |