「元亀元年(1570)8月19日の夜、鍋島信生(藩祖鍋島直茂)が今山に布陣した大友八郎親秀を夜襲した際、わずか17騎とともに夕方城を出てこの神社付近で本荘郷勝利(正里)集落の加勢を持ち鉄砲百余丁も加わり勢揃して出陣し大勝利を得たといわれる。
この戦いは“肥前分け目”の戦いとして、語りつがれている。
道祖元町(さやのもとまち)町名の由来は町並みを戌亥の方に鎮座される道祖神社“通称さやんかみさん”にあるといわれている。
寛政元年(1789)の幕府巡見使への藩の報告「33ヶ町」の中の町名に記録されている。
鍋島藩の旧城下町の一つとして今も“さやンもとまち”の愛称で訪れる人が多い。」
道祖神社
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