池の観音
「池の観音の境内は、入り口に中国風の石門を建て、観音が納めてある石祠の周囲には玉垣をめぐらし、その入り口には金剛力士像を左右に配するという、整えられたたたずまいである。
『観世音』と陽刻した扁額をかかげる石祠には、石造の観音坐像が祀られている。その台座の寄進銘から、亨保2年(西暦1717年)に友田喜平次が観音像を造立して祀り、次いで、寛政元年(西暦1789年)、友田中蔵が石祠と金剛力士、及び石門等を寄進してみごとな伽藍としたことがわかる。
山奥の地にあって、豪華な普請をすることができたのは、ときの藩主寺沢志摩守が、『新しく開墾した田畑のうち、一毛作の場合は税を納めなくてもよい。』という掟をつくって開墾を奨励したため、たいへんな富豪となって繁栄したからだといわれている。」
唐津市 |