2,978
大樹神社摂社天神社本殿前橋

2007.09.09

西松浦郡有田町大木宿 八郎山

橋長:1.2m
橋幅:0.6m
桁厚:17cm
単径間円弧桁橋




大樹神社 由緒の概要
「祭神は人皇第八代孝元天皇三世の孫にして父は屋主忍男武雄心命、母はその直縁に当る紀家の遠祖莵道彦の娘影姫で第十二代景行天皇の三年二月屋主忍男武雄心命朝命を奉して群神を祀らんがため紀伊に下り阿備原に留まること九年此の時誕生せられたのが武内宿禰命である
 藤原鎌足三世の孫に廣嗣と言う人あり 奈良時代に於ける政治上の問題に端を発し 廣嗣上表して時の聖武天皇に寵愛を蒙りし僧玄坊と吉備真備を斥けんとし事成ず 遂に天平十二年十二月紀飯麿勅を奉じて藤原廣嗣を討手し 其祖武内宿禰命が神功皇后に従い三韓平定のため出征準備をととのえられし遺蹟である 当町浄源寺川の畔を訪れうたに今昔の感に堪えず 茲に祭壇を築きて始祖武内宿禰命を祀り 戦捷を奉告せしに創まるという 爾後郷民鎮守の神延命息災又五穀豊穣の神として厚く崇敬するに至る
 その後近衛天皇久寿年間鎮西八郎為朝黒髪山に大蛇を退治したる後 暫くこの地(現在地八郎山)に寓し甚だ当社を信仰したりという
 今を去る四百六十年前浄源寺川の畔にありし当社を今の地に移し珍珠大明神と唱え来りしが明治六年 前社名を大樹神社と改称し村社に列せられ終戦後は宗教法人法に依る神社として大木部落の総氏神として今日に至れるものなり
 柱 珍珠とは海陸交通安全の霊を言う 大明神は其の地の最高の神を言う」
世戸さんの情報です
伊万里市から左回りで有田町へ入り、山内町を通り、再び伊万里市へ戻ります

階段の途中に肥前鳥居

右が摂社天神社

拝殿と本殿の間にあります

本殿側から