3,048 矢俣八幡神社参道橋
2007.10.08
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三養基郡みやき町大字天建寺
橋長:4.6m
橋幅:2.5m
2径間桁橋
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矢俣八幡神社由緒
「言い伝えによると五十七代陽成天皇のときに、藤原鎌足の後裔である藤原清秀が官吏として、この矢俣保に赴任するとき、石清水男山八幡宮の御分を奉じてこられ、元慶二年(878)四月十五日に坂口村開平に八幡宮を勧請された。
その後、年数を経て宮村に遷座されている。納江出雲守源義宣がこの矢俣郷を領有したとき、八幡宮をひどく崇敬して弘安六年(1283)に社殿を再建し、九月二十七日を祭日と定めて神事を復興した。このときから、能舞・神楽・流鏑馬・浮立が奉納されているようである。
慶長五年(1600)鍋島勝茂公が徳川家康の命をうけて、柳川の立花宗茂を攻めるにあたって、北市場の渡しを渡られたが、それに先立って、この八幡宮に参詣し、戦勝祈願と同時に徳川・鍋島の和合を祈願された。そのことの成就によって、特に藩主代々の崇敬をうけられた。
成富兵庫茂安公が千栗堤防を築かれるとき、今、神社の裏にある“約束の地”で、神社移転と堤防工事の成就を祈願されて神社をこの場所に移転し、元和二年(1616)には社殿その他の諸設備が完成した。特に全長500mの長い参道もこのときに整えられ、流鏑馬が賑やかに行われた。
この神社に合せて今まで通りの祭典料を藩主側から手渡すことと、祭礼を今後も継続するようにとの、成富兵庫茂安公の直筆の文書が今も保存されている。」 |
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三根東小前の矢俣神社
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正面
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側面
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楼門から |