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梧竹観音堂(三日月堂)さいと橋
2008.01.14
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小城市三日月町金田 久本
橋長:2.3m
橋幅:3.02m
桁7列
桁厚:cm
径間桁橋
架設:明治40年
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書聖中林梧竹翁と観音堂(三日月堂)
市重要文化財指定
「梧竹翁は、文政十年 (1827)小城町に生まれ、姓は中林、名は隆経、通称は彦四郎、梧竹は雅号である。十八歳のとき江戸に上り、山内香雪、市河米庵両先生の門に入って儒学と書を学んだ。明治維新の後、中国に二回渡り六朝書を磨く、明治二十四年には副島種臣氏のすすめで天皇に十七帖の臨書を献上、天皇は御座所に掲げて鑑賞され、羽二重の御衣を賜わった。
梧竹翁は八十歳すぎても元気で、旅に出ることが多く北海道から鹿児島まで全国各地に足跡があり仙人のような脱俗の人柄をしのばせる逸話と数多くの書、特に県内では佐賀市内や小城、三日月町の神社仏閣には多数の書が残っている。
梧竹翁は明治四十一年鳳凰閣と共に観音堂を竣工(梧竹八十二歳の春)正面入口に「三日月堂」の木額、鍋島直大の書、御堂内には南無観世音菩薩の御尊像を祀り、傍に先祖代々の霊位、旧小城藩主、先師(佩川香雪、余元眉)の位牌を安置され、また隠元禅師の「南無観世音菩薩」及び翁の「寂滅場中活路通」の木額が相対し掲げられている。
いまは鳳凰閣はなく、御堂も昭和二十年台風で倒壊、昭和三十二年縮小して再建され現在に至る。
翁は大正二年(1913)八月四日、三日月村荘にて行年八十七歳で没した。墓は社の長栄寺にあって観音像の墓石がある。」
小城市教育委員会 |
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奥が梧竹観音堂(三日月堂)
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側面
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親柱
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親柱
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お堂側から
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下部
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上部 |