3,023 高田日吉神社参道橋
2007.10.07
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小城市三日月町長神田 高田
橋長:1.95m
橋幅:4.95m
単径間円弧桁橋
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日吉神社
「元亨二年(1322)千葉胤貞は後醍醐天皇より鎮西探題を任ぜられ、九州へ向かうことになった。無事に三日月郷皆良田(現三日月町高田)の地へ到着し社殿を造り、海陸守護・五穀豊穣・悪疫転徐の神として比叡山日吉神社の分霊を奉じた。完成した神殿、拝殿、楼門などは極めて美しかったと伝えられる。千葉氏代々崇敬の神社として十九町の領田を有し皆良田壱岐守、馬場下総守、並びに巫女を置いて奉納した。
時代はかわり千葉胤頼の代になり、創建時の日吉神社はおよそ五〇〇年程前に千葉家内部の争乱によって焼失している。
その後、天文十七年(1548)龍造寺氏の領地となった時、隆信の息子政家が神社の廃絶を嘆き天正五年(1577)に再建したとされる。更に元和二年(1617)小城鍋島藩領となり寛文七年(1667)二月に二代藩主直能が社殿、神門を改築した。当時より領主をはじめ地域民に至るまで神社に対して崇敬が篤く社殿の造営、祭費については小城藩主が支弁していた。
明治六年(1873)に三日月村社に定められ大正九年(1920)十二月に郷杜へ昇格し、菅原道真と三女神の二柱を追加している。
現在も高田地区の信仰は厚く、大切に管理され守られている。また、祭神の大山昨命は“山の神”とされており、その“使い”とされる“申”の年には十二年に一度の大祭が昭和三十年代まで盛大におこなわれていた。」
小城市教育委員会 |
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正面
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側面
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側面
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長い参道 |