金粟山玉毫寺(こんぞくさんぎょくこうじ)
「開山小城三代藩主鍋島紀伊守元武公である。
公は寛文二年(1662)四月二十六日江戸屋敷で二代藩主直能と坊城大納言俊完の娘御伊賀の方との間に生まれた。水戸光圀とは母方の伯父・甥の間柄である。十七歳の時天然痘に罹りあばた顔になったため人に会うことをきらい、大和尚となって名を残すことを決意して、小城町鷺原の星巌寺開山潮音道海和尚(小城町西身)より和尚の資格を授けられて、当山を創設し自ら開山となることを発願したが、完成は公の没後正徳五年(1715)八月であった。
当時新規の寺院建設は幕府法度で禁ぜられていたため、この地に在った岩蔵寺末寺の鳳来寺を岩蔵寺境内に移転し、牛津の廃庵要津庵(春日高城寺末寺)の籍を受けて、二代目住職慧雲の手によって完成された。
藩庁より八十石を支給され、山林八十町歩を領し七堂伽を備えた威容は、広大な敷地と遺構によって偲ぞことができる。
此所には元武公が開山金粟和尚として葬むられ、六代直員公、九代直尭公が眠っている。
また、寺宝として元武公の十七歳から晩年に至る肖像画五〜六幅の外、偏額など何れも重要文化財級の書が在る。」
小城市教育委員会
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