基肄城跡の水門

2009.02.21

三養基郡基山町小倉




基肄城跡の水門
「基肄城(きいじょう)は、福岡県の大野城とともに唐・新羅の来襲に備えて、大宰府都城防衛のため、665年に南北相対して築かれた我が国最古の朝鮮式山城である。
 城は、西峰の基山・東峰の坊住山の二峰間を北部を土塁で結び、南北を石垣でつないでいる。
 その延長線は、4,200mに及んでいる。城跡には、展望所・土塁・石垣・水門・礎石・門址等が残在している。
 水門は、城の南側にあり、基山・坊住山両峰の谷の水を排除する施設で、高さ1.4m、奥行9.5mで、その上に築かれている石垣は、高さ8.5m、長さ26mである。
 大宝律令の筑紫城衛禁律によると、この水門を潜って城内に入ったものは、一年の徒刑に処せられることになっていた。」

基山町教育委員会
住吉神社横にあります

内部

上流側