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脇本陣横の橋

2007.09.08

武雄市北方町大字大崎

川添川
橋長:3.7m
橋幅:2.8m
桁5列
桁厚:30cm
単径間桁橋
架設:江戸時代




大崎八幡から多久市へ向かう途中、道を間違え、引き返す時に気になる橋が見えました

桁橋でした

 近くにおられた方にお話を伺いました。左手奥の建物は旧長崎街道、北方宿本陣跡の建物で、築178年。左手前の空き地は北方宿脇本陣跡、今車が通っているところは構口、この橋が架かっているのは川添川といい、龍造寺氏と武雄後藤氏との戦の際、龍造寺氏により掘られた壕の跡だそうです。
 右手に見えるのは舟だまりで、大副炭鉱からの石炭運搬のための帆掛け舟が出入りし、六角川から有明海に搬送されたそうです。

旧長崎街道 北方宿本陣跡
「長崎街道北方宿は、古代には橘氏の居館があった所で交通の要衝であった。ここには街道往来の為の宿泊や休憩所としての本陣があり、前に脇本陣と多久領の米蔵があった。
 宿内には、駅亭、問屋場、旅籠、商家があり活気に満ちた宿だった。
 ここが大崎村商屋屋敷であったとき、文化9年(1812年)には「大日本輿地地図」を作った幕府測量方伊能忠敬一行も宿泊している。他にも長崎奉行や幕府役人、佐賀藩主なども立ち寄っている。」


 話をお聞かせ頂いたのはたまたま本陣跡のご主人でした。知らなければただの橋で終わるところでしたが、このような話が聞けて幸いでした。人との出会いは石橋巡りの楽しさを倍増させるもので、今回の道中で一番の収穫だったようです。