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松枝神社参道橋

2007.05.06

川副町大字大詫間 上ノ小路

橋長:2.3m
径間:1.3m
単径間桁橋




大詫間島の成立と松枝神社(八大龍王社・ジュオウさん)
「大詫間島は、筑後川河口に松の大枝が流れ着き、その枝に上流からの土砂が堆積してできた三角州だと伝えられている。松枝神社に伝わる八大龍王社記によると“鍋島勝茂が大野島(今の福岡県大川市大野島)の寄洲に占有権を示す龍王の神石を建ててその神石を中心に土砂が堆積、固結したので、元和9年(1623)同所に八大龍王の神祠を建てた。寛永の頃干潟が成長して、肥・筑の境界争いが起きた。正保元年(1644)和議成立。高良神社と千栗神社の神幣を流して境界を決定した。その時、佐賀市白山町武屋(武富家)の先祖が龍王社の北東に当たる泥土地に搦50町を築いて大詫間村と称した”とある。
 その時神幣(柴)が通った跡が、今も“通り柴”の地名として残っており、大詫間と大野島の境界となっている。わが国には三千以上に及ぶ大小の島があるが、一つの島で二県にまたがっているのはこの島だけであり、近世まではそれぞれ佐賀藩、柳川藩に属していたこともあって、歴史、民俗、言語等が大いに異なっているという特徴がある。松枝神社は、その後正保4年(1647)に社殿を東通柴(現在地)に移し、昭和48年(1973)の御遷座350年式年大祭に本殿を再建した。毎年10月第2日曜の供日には、伝承芸能の浮立大神楽が奉納される。町内に現存する浮立は、ほかに犬井道海童神社のものがあり、昭和57年(1982)、共に町の重要無形民俗文化財として指定を受けた。」

川副町教育委員会
佐世保からの帰り道、八大龍王神社がありました

高欄も上部も新しいものです

側面を確認すると下に刎橋が残っていました

下部

横桁と迫石の合わせ目は加工がしてあります

神社側から