史跡 普明寺(ふみょうじ)とその寺域
「普明寺は黄檗宗の寺院で、旧鹿島鍋島藩の菩提寺です。黄檗宗は江戸時代の承応3年(1654)に中国の隠元が日本に伝えた禅宗の一つです。鹿島藩第三代藩主の鍋島直朝の長男、直孝は早くから出家し、格峰と名乗りました。(後の断橋禅師。本堂の左手に木造の座像があります。)そこで、隠元の弟子であった即非に学んだ能古見福源寺の桂巌和尚にお願いし、直孝の住居であった場所に、延宝5年(1677)に開山しました。隠元が京都の宇治に建立した黄檗山万福寺にならい、開山の後5年をかけて約1万坪の境内に本堂をはじめとする17棟もの伽藍を造りました。 寺は万福寺と同様に、寺域全体を竜に見立てて建物や施設を配置しました。竜の頭である入り口には、石橋をはさんで、目に当たる「竜眼の池」を置きます。石門(総門)をくぐると、竜の首に当たる参道を通って、竜の腹である楼門と回廊、本堂に至ります。さらに本堂の裏には竜のしっぽに見立てた墓道を経て、鹿島鍋島藩の歴代藩主(墓所など)の墓地に至ります。普明寺は黄檗宗の様式や伝統を忠実に伝えると共に、本堂の土間や楼門に特徴が見られるように、中国明朝の寺院建築の様式で建てられた佐賀県内でも非常に珍しい寺院です。
さらに普明寺には数多くの文化財があります。境内には、本堂前庭の桂巌禅師手植えと伝えられるキンモクセイや石造羅漢像、歴代藩主や家族の墓石群など。安置されている仏像の中には、1300年代の朝鮮半島の高麗仏(佐賀県重要文化財。現在は佐賀県立博物館で展示中)も確認されています。また、境内の山は二次的な原生林になっており、数多くの植物や鳥、昆虫類が民家の近くで観察できる場所として貴重です。」 |