泰智寺参道橋

2008.09.27

鹿島市浜町




泰智寺由緒
「當寺は“永深山泰智寺”と称し、本尊を釈迦如来とし脇侍文殊菩薩・普賢菩薩を置く曹洞宗の古刹である。
創立起源は北鹿島常広に建立された“深立寺”であるが、元和八年(1622)鹿島藩初代鍋島忠茂公によって現在地に移されたものである。
 当初は忠茂公の正室の戒名に因み“祇園山隆心寺”を寺名としたが、二代正茂公により寛永年間に前記のように山号寺号が改められて現在に至っている。古記録には、その後間もなく慶安三年(1650)の浜町の大火により堂宇すべてを焼失したと伝えられている。山門のみ残ったという風説があったが事実ではない。
 その後、寛保二年(1742)本堂が再建され、それと前後して山門・回廊も再建されたようである。しかし、山門も本堂も永い年月を経ているため傷みがすすみ、両者とも二度の大修理を経ている。
 山門は原形を保っているが、本堂は平成十二年に浄財により瓦葺きとするとともに内外に必要な営繕を行い、これにより寺全体の景観は大きく変容した。
 當寺は三代直朝公により古枝久保山に建てられた普明寺とともに、鹿島藩歴代藩主の御霊を祭っており、その菩提寺として昭和に互るまで手厚く処遇されてきた。『鹿島藩日記』には「再御寺」(普明寺・泰智寺の意)という説が散見されるが、この事実をもの語るものである。」
泰智寺前に橋が架かっていますが

コンクリート製でした