鹿島城赤門及大手門
佐賀県重要文化財
由来
「鹿島城は佐賀鍋島家の支藩である鹿島鍋島家二万五千石の居城であって文化三年に幕府の許可を受けて工を起し翌文化四年に完成したものである。
明治七年佐賀乱の際焼失したが赤門及び大手門が類焼を免れて残存した。
赤門は屋根妻造桟瓦葺の片番所附城門である。大手門は屋根妻造本瓦葺の高麗門様式の城門であると共に正面に藩主の杏葉の紋をつけ飾金具少なく極めて簡素なものであるが木組は雄大で、幕末小藩の城門としては堂々たるものであって、城郭建造物の残存するものの稀な今日貴重な遺構である。
その故を以て昭和三十三年一月二十三日佐賀県指定重要文化財に指定された。」
佐賀県教育委員会
鹿島市役所 |