伊東玄朴旧宅

2008.01.20

神埼市神埼町的




佐賀県史跡
伊東玄朴旧宅
「伊東玄朴は寛政十二年(西暦1800)農家の長男としてここに生まれました。
 十一歳のとき不動院玄透法印について漢学を学び、十七歳で自宅にて漢方医を開きますが、新しい医術へあこがれ長崎の鳴滝塾でドイツ人医師シーボルトに師事し、学識を飛躍的に向上させました。
 二十五歳で江戸に出て、当時不治の病と言われたジフテリアを治したことから蘭方医として名声を博しました。
 天保四年(1833)蘭学塾“象先堂”を開設し、人材の育成にも努めました。同十四年、佐賀藩主鍋島直正の御匙医となり“牛痘種法編”を翻訳する一方、牛痘接種を強く献言しました。直正はその意見を取り入れ藩医楢林宗建を通じて繭医モーニッケより牛痘苗を取り寄せました。
 嘉永二年(1849)藩主の長男淳一郎に、同年江戸屋敷で長女貢姫に接種しいずれも成功しています。これがわが国の種痘の最初と言われています。後に徳川十三代将軍家定の奥御医師となります。
 文久元年(1861)西洋医学所(現在の東京大学医学部)の創設をしました。
 明治四年病気のため七十歳で七くなりますが、医学に捧げた功績は大きく、我が国における近代西洋医学の父と仰がれています。」

神埼市教育委員会