浜野浦の棚田

2014.01.25

東松浦郡玄海町浜野浦




浜野浦の棚田 佐賀県遺産
「浜野浦の棚田は、大薗地区に端を発し浜野浦の入江に流れ込む延長千五百十五メートルの浜野浦川によって形成された浸食谷に、二百八十三枚の田が連なったものである。本来は農耕地として不適な環境の急斜面に、戦国時代から江戸時代にかけて先人たちの偉業により山を切り開き、石を積み上げ築かれたものである。
 棚田の石垣は、加工を施さない自然石を使った野面積みが一部残り、名護屋城の石垣(穴太積み)の特徴が見受けられる。その歴史は、豊臣秀吉が朝鮮出兵の拠点とした名護屋城の築城の際に、近江の国の石工職能集団(穴太衆)の末裔より形成されていた砥川(現小城市牛津町)の石工集団を呼寄せ、その石工たちがそのまま浜野浦の東北に位置する値賀川内に住み着き、その子孫である石工職人により代々築き上げられたともいわれている。
 海岸から駆け上がる階段のように幾重にも連なる棚田は、四季折々の姿をみせる。特に、水を張る田植え期には、水平線に沈むタ日を鏡のように海面と水田に映し出し、地域一帯を朱色に染める風景は幻想的で訪れる人の目を楽しませてくれる。」
ロケハンにやって来ました

4月中旬に田植えの準備で水張りされた棚田と夕日はさぞかしきれいでしょう

ところどころで補修工事中

下から

石積み