戦国時代の鴨打氏の城址
「わが芦刈の東部地区は、永正年間(1504〜1520)…室町後期(今より480余年前)松浦党の一族、鴨打美濃守秀が、小城の千葉氏に招かれ、中溝のここ永林寺と宝泉寺に城(館)を築き、以来地頭として、千葉氏についで龍造寺氏、鍋島氏に仕えていた。
一族中でも美濃守の孫にあたる陸奥守胤忠は、武勇優れ永禄五年有馬氏と大村氏が攻めこんできたとき、胤忠は西芦刈の豪族徳島氏とともに手兵数百を率いて、龍造寺軍の先鋒として柳鶴(牛津町)に転戦、論功により小城の右原八〇町歩(80ヘクタール)を加増された。
なお、元亀元年豊後の大友氏が攻め寄せ、龍造寺軍は戦い利あらず、佐嘉城の運命は、風前の灯の如く陥落寸前にあったが、当時の客将鍋島直茂(日峯さん)は、奇策(鬼面を顔に被せて攻めいる)をめぐらし、今山(大和町)に夜襲をかけ、胤忠も数百騎を率いて出陣大友軍は敗走する。
その後鍋島氏が肥前一円を領有することになり、初代藩主勝茂の長子元茂が小城支藩に封ぜられたが、その折鴨打一族は、元茂の家臣として元和年間小城に転居した。」
平成四年八月一日 芦刈町教育委員会 |