大天満神社

2007.09.08

小城市芦刈町芦溝




「天満宮」の由来
「天満宮の祭神は、“菅原道真公”で、筑前太宰府天満宮の御分霊であり、創建は建暦・建保(1211〜1218年…今より770余年前)の頃と言われているが、明らかでない。
 その後明応(1492年〜1500年…今より490余年前)年間関東から下向した千葉氏が、小城地方を領することになったが、千葉氏は大いにこれを尊崇し、次いで当時の芦刈郷の地頭であった鴨打、徳島、持永、南里、神代氏等も郷社として崇敬していた。
 現在町内各部落に祭祀してある天満宮は、当社をさらに分霊鎮坐したもので、当社を大天神、部落のものを小天神とも言い伝えられている。
 明治六年村社に列し、その後明治四十年神饌幣帛料供進指定神社として、取扱われていた。
 なお当社にある“石造肥前鳥居”は、佐賀県、ならび福岡県と長崎県の一部に分布する地方色豊かな特色のある石造文化の一つで、当町では唯−のものである。
 又境内にある彫物を施した“四脚門”も他に例を見ない由緒深い価値のある文化財の一つである。」

 平成四年八月一日芦刈町教育委員会
石造肥前鳥居の由来
「天満宮の石造肥前鳥居は、笠木の長さ三・八二メートル、高さ二・九五メートルで笠木、島木及び貫は三本継で柱は二本継となっている。
 島木は形成化して笠木と一体となり、額束は方形のはめ込みで、木鼻はゆるやかに反っている。
 柱の上端に台輪があり、下部は張り出して生け込みとなっており、肥前鳥居の特長をよく備えている。
 県内に分布している石造肥前鳥居は、地方色のある鳥居として、注目されているが、この天満宮の鳥居は江戸時代初期の造立銘を有するものとして価値が高い。
 この鳥居の額束及び両柱に次の銘が陰刻されている。・・・以下省略」
四脚門

境内の肥前狛犬