椎谷神社
「明治41年(1908)の有田村長から西松浦郡長にあてた文書に、村社椎谷神社の事蹟として次のように記されています。『慶安3年(1560)8月15日、伊邪那岐尊・伊邪那美尊・天穂日尊の三体を木造にして合祀した。その後貞享5年(1684)にご神体として三体の神鏡を奉鎮したが文政4年(1827)に盗難にあった。その後探索を続けたが見つからず、そのうちの二体が天保元年(1830)に長州下関で漁夫の網にかかって発見された。これは賊が転売できずに海中に投棄したものらしく、鏡の裏面に“肥前国松浦郡有田郷新村”という銘文があった。そこに小城郡牛津町の魚類商人某が行き会わせ、一体は発見者の漁夫が奉祀し、もう一体を持ち帰り椎谷神社に奉還した。前者の漁夫はその後大漁が続き繁栄をきわめたといい、牛津町の商人も毎年正月と7月に参詣して同様の幸せが叶ったことは神霊のおかげだと伝わっている』とあります。現在も町の人々によって信仰を集めている神社です。」
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