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稲佐神社参道(旧)遍照院ノ橋

2010.08.07

杵島郡白石町大字辺田

橋長:1.0m
橋幅:1.7m
単径間桁橋




稲佐十六坊の跡
「稲佐神社参道の石段両側には、かつて八坊ずつ十六坊の真言宗寺院があった。現存しているのは玉泉坊・観音院・座主坊の三ケ寺のみである。稲佐十六坊の創建については、今から一千二百年の昔、平城天皇の大同二(八〇七)年に弘法大師(空海)がこの肥前の地に足を運ばれたと伝えられている。大師は天皇の勅許を蒙り、元横平山にあった一小社をこの地に移し鎮守大明神として崇め、一山を総称して、稲佐泰平寺と名付けたという。併せて、百済の聖明王の子阿佐太子がこの地に来たという伝承から、一緒に祀られている。
 稲佐泰平寺は享保五(一七二〇)年の火災でほとんど焼失したが、十六坊の近郊にあった宝珠院の住職恵眼比丘が享保九(一七二四)年に復興したと伝えられている。また、恵眼比丘が再建したといわれる講堂(通称大師堂)が参道を登り詰めた左側の大徳坊跡に建っており、ここでは稲佐十六坊寺院の僧侶が一同に集い講演説教や修行の場とし、弘法大師の祭典を行っていた。当時の隆盛を偲ぶことはできないが、神仏習合時代から真言密教の道場として人々の家内安全と無病息災を祈願し、今なお密教の法灯を守り続けている。」

白石町教育委員会
階段を上りきったところに建つ稲佐神社の階段前の鳥居、一の鳥居はここから約1.4Km東に建っています
ここから階段を下ります

左手旧遍照院前に架かっています

側面

向かいは大師堂(旧遍照殿