雲八幡宮の沿革
「境内を流れる旭川を数百メートル下った所に磐座がある。
“雲石”と呼ばれ大宝三年(七〇三)、ここに神が出現し“雲の社”と尊んだ。天延元年(九七三)、小納言清原正高卿(都から当地に配流になった人物)が現在地に社殿を造営したと言う。
友杉氏(中間氏)が地頭に任じられこの中間郷に一戸城を築いてからはその尊崇を受け、応仁三年(一四六九)には城主大蔵大夫が現宮司家の秋永氏を社司(宮司)に任じている。
江戸時代になると細川忠興公、次いで小笠原氏歴代藩主、また元禄十一年(一六九八)以後は幕府の天領となり、日田代官等の崇敬があった。」 |