和間神社

2018.06.15


宇佐市大字松崎 和間




和間神社御由緒
「この地は神武天皇御東征の寄港地であり、また神功皇后の三韓征伐の軍船をつくられたなど宇佐と共に古い神蹟である。
719年養老三年南九州の隼人の乱をしずめるため国司は宇佐神宮を奉じて軍をすすめたが強く反抗したので策をかまえ人形が相撲をする舞を見せて亡した。この為に隼人の怨みがあらわれていろいろの病災があったので勅命でこの慰霊の祭を放生会と称して行われることとなった。現今全国各地で秋に放生会をするが743年天平十六年に宇佐神宮が古代から由緒のある神域和間の地で勅大祭が行われたのがこの祭り、また和間神社のおこりである。
戦国時代頃までは神域は浮殿を中心にして松崎・佐々礼・水崎におよぶ殺生禁断の地であり古表神社(築上郡吉富町)の神相撲(くぐつの舞)やいろいろの舞楽があり、法蓮、華厳、覚満、射能等の仏事もあった
宇佐神宮をたたれた八幡宮若の神幸は華美荘厳いろいろの神事を行ない放生会(ただ今は仲秋祭)がこの神社で行われた。
然し神宮の盛衰と共に応永年間足利幕府大内氏の寄進
元和元年細川忠興の力で再興され、また、昭和十三年から現制に復古したが往時を偲ぶ姿もなく境内も縮小したが、昭和三十九年六月十日に社殿神域を復旧造営した。」
県道23号線沿いの和間神社

参道を進むと

右手に浮島

拝殿

浮殿