赤八幡社(閼伽八幡社)由緒
「津久見市津久見浦字石田と称する所に古来一巌石あり。建久年に当りこの石頭に一点の火光ありて、すこぶる燦然たるを認め、人々神明の霊灯ならんと言う。
建久元年(1190)是より北方に当る所を撰び石清水八幡宮の分霊を勧請して現今の地に社殿を設け当地の氏神として祀った。
天正十四年(1586)大友軍の兵火により焼失。慶長六年(1601)に再建、同十年(1605)佐伯藩主毛利高政公により社殿を築造、赤・青両郷の総鎮守社となる。
現社殿は安政三年(1856)の造営であり、明治六年(1873)郷社、昭和十六年(1941)県社となる。楼門は大正五年(1916)に建てられたもの。
御祭神 応神天皇 中哀天皇 神功皇后」
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