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市指定史跡
「市用平園天満社横の岩壁にある横穴古墳群は、古墳時代後期六世紀末頃のものと考えられています。 天満社自体は、横穴古墳群よりかなり後にできたもので、古墳群と直接の関わりはありません。 古墳は、調査によって11基が確認されていますが、いくつかは崩壊しており明らかに横穴と識別できるのは5基ほどです。 羨門(せんもん:墓の入口)上部に切妻屋根形の掘り込みのある横穴古墳が1基見られますが、これは後世に施されたものとされています。 羨門入口は、およそ60cm四方ですが遺骸を収める玄室内部には何も残されていません。おそらく盗掘などによるものと思われます。 この横穴古墳は、通常の古墳と比べると簡単な造りで、埋葬された人々は、竹田市菅生にある七ツ森古墳群のように強力な権力者ではなく村や集落の有力者程度の地位の人たちだったと考えられます。 市内には下木石仏、上坂田の間崖仏と素朴ではあるが、心を動かされる遺産があるのは、この地域の文化を考える上でなおざりにできないといえるでしょう。」
歴史と文化を考える会
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