大龍井路開削の由来
「当地は急峻な山間地で、かつては少しの水田がありひとたび旱天が続けばたちどころに作物は枯渇し食うにことかく有様だった。
この地を所轄する手永惣庄屋工藤三助兼時公はこの悲惨な状況にある領民を救済すべく幾多の困難を克服、熊群川を水源とする総延長六千米灌漑水田二四三町歩に及ぶ大龍井出を開削した時、元禄十二年(1699年)三助公若干三十八歳の壮年であった。
総工費三十五貫文は肥後細川藩が負担、爾来三百有余年我々の祖先は瞬時も休むことなく通水する水路の絶大な恩恵によりこの地に安住でき、命を繋いで来れた処である。改めて三助公を始めとする先人各位の尽力に深甚の敬意を表する次第であります。
地域に水路がもたらす限りない多面的機能を愛益住民に知らしめ総力を挙げて水路の維持管理に徹し健全施設を後世に引継ぐ責任を感ずる。」
平成二十五年二月二十八日
大龍井路土地改良区 |