八幡河原庚申塔群

2020.10.17


佐伯市宇目大字千束




八幡河原庚申塔群
「この庚申塔群は富野区から田野区へ通ずる道路から八幡河原への降り口にあったものを道路改良のためこの地に移設したものである。
 十干十二支によって六十年又は六十日にまわってくる庚申(かのえさる)の夜に眠ると、人間の体内にいる三尸という虫が抜け出し、天の神にその人の罪過を報告する。天の神はその罪の軽重によりさまざまな禍を与え、人の寿命を書き、前もって死ぬ時期を定めると言われている。
 したがってこの夜は謹み深く諸善を行わなくてはならぬと言って、徹夜することが道士の修業とされていた。したっがて庚申塔は寝ないで庚申待をする民間信仰の供養塔として造立された。仏教側は「青面金剛」、神道側は「猿田彦命」をそれぞれ礼拝の対象として取り入れた。庚申塔は本来三年又は六十年に一基づつ造立するものである。
 庚申の神は、作の神、病魔厄除けの神、家内繁栄の神、幸運の神などと、意義付けられ、道路の分岐点、集落の境界、田の端、峠道などに造立された
 本町には文字庚申塔が圧倒的に多いが、その形式のほとんどがここに凝縮されている。大きいもので高さ二メートルもあり重量感にあふれ圧巻である。特に一か所に三十三基も大量にある所は極めて珍しく、大分県下にはその例を見ない。年代の古いものでは『寛文十三癸丑』(1673)が最も古い。
 また、向かって右後方に「●」という字を刻んだ庚申塔があるが、これは『鵜』『八』『臼』(ウ・ハ・キュウ)庚申塔と言われ、隠れキリシタンがよく使った文字だといわれている。年号「元和」を「元(反転)和」と異体字を使っている。さらに前列正面には、「申」を「キ」にして「十字」を隠したような庚申塔もあり、キリシタンとの関連性もうかがえる。特に板碑や墓碑ではなく、庚申塔に「●」で表しているものは、県内では未だ発見されていない逸品で貴重な文化財である。」

宇目町教育委員会
八幡河原庚申塔群

一か所に三十三基集められています

向かって右後方に『鵜』『八』『臼』が刻まれた庚申塔があるそうですが、見分けられず

前列