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勝光寺参道橋
2009.05.31

豊後大野市大野町藤北

橋長:1.9m
橋幅:1.5m
桁厚:cm
単径間桁橋




町指定史跡 南陽山勝光寺の由来
「はじめは天台宗であったが、南北朝時代には臨済宗東福寺派の三聖寺に属した。ここは大友初代能直公の墓堂の跡と伝えられ、豊後国志には、“この地に大友能直の墓所があり、公の死後、嗣子親秀が寺を建てて勝光寺と名づけた。のち戸次氏が延元二年(1337)京都の普門大機禅師を招き、荒廃を修復して旧寿永山を改めて南陽山と号した。”とある。
 境内は、東西凡そ40m南北46m配置は平安時代の寝殿造りの一部を模し、老樹の中に小池がある。東の島の弁天前に明徳三年(1392)の印塔、西の島に延徳三年(1491)の石幢の他、宝筐印塔等能直公ゆかりの石塔類が多数ある。
 本尊は不動明王木像座像、祭日は毎月旧28日、善男善女の参詣多くまた、堂の後側より本尊の安置する床下に入り、頭を床に触れると所願成就するという言伝えがある。」
案内板に誘われてやってきた勝光寺には3基の石橋がありました

正面の参道橋

側面

側面

下部