沈堕滝

2003.12.07

豊後大野市大野町矢田




沈堕滝
「大野町大字矢田字沈堕、大野川の中流にかかる沈堕滝は、大野川と緒方川の合流点より下流約400mの位置にあり、高さ約19m、幅約110m、滝の断崖は阿蘇溶結凝灰岩からあ成る。古くから西日本の雄瀑として知られ、歴史上の初出は文明8年(1476)僧雪舟筆“沈堕瀑”図がその真景図として有名である。原図は惜しくも関東大震災で焼失したが、狩野常信の模写が京都国立博物館に所蔵されている。かつて前関白近衛竜山公は天正3年(1575)薩摩よりの帰途“布引をはたちあまりもかさぬともふもとになりぬ豊国の瀑”と歌を残し、また、かの石川丈山もこの瀑の詩を詠じている。
 現在滝の上には、大正12年に九州電力沈堕発電所の取水口のダムが建設され、昔日の面影を失ったが、夏秋の増水時には110余mの川幅に張り溢れる激流は、轟轟と飛沫をあげて直下し、巨大なる銀幕の風を孕んで揺動するが如く白流は青嵐に映じて頗る壮観である。豊後国志に“沈堕瀑大野郷矢田村にあり。大野、緒方二川諸水を導き此に至りて相合し一となる。懸崖より下る。瀑高九丈余、闊き一百余歩、その澤深測るべからず。崖上の危石、磊磊尖起すること鉾の相列するが如し。激水急滴、觸衡その間を下る。直垂分れて十三条となる。遠く之を望めば恰も氷柱の列するが如く、之に近づけば則ち、白竜雨を駆り、百雷怒叫、飛雪虹を吐く頗る爽快、眼を洗うべし。若しそれ夏霖秋潦なれば、則ち水溢れて一となり、銀漢倒瀉またまた壮観なり”とある。」


雌沈堕滝
「沈堕滝の下流約300mにして、大野川は支流の矢田川を合するが、合流点の矢田川に懸かる滝が雌沈堕滝である。豊後国志によれば“沈堕を相去ること一町ばかりにあり、碧澤相連なる。故に雌を以て之を称す。大野矢田、下流は矢田川と曰う。瀑高十余丈、澗さ一丈余、飛流直下、匹練の懸かるが如し”とある。
 これら両瀑布のために、かつての大野川の水運は、これより下流に限られていた。」

大野町
以上 2003.12.07撮影


14年ぶりの訪問

雄滝

雌滝 虹がかかっています

右岸側から

右が雌滝

パノラマ
以上 2017.11.05撮影