いぼ地蔵の由来
「いぼ地蔵とは、延命地蔵大菩薩ともいう。尼ヶ城を築き城に通う抜け穴を造り目印として銀杏の木を植えた。
しかしこの方向が鬼門にあたるので魔除として一寸八部の黄金の像延命地蔵菩薩を銀杏の木の下にお祈りして母君(尼さん)が厚く信仰されていた。
のち府内城主の馬にいぼがあったので(挾間町篠原、久大線鬼ヶ瀬駅の真向の山に、大将軍とよばれる松原神社がある。牛馬の神として近郷の畜産農家が遠くは福岡、熊本、竹田方面から牛馬をひいて参拝するので大へんにぎわっていた)殿さまはこの神様に参拝していぼを取ってもらいたいといった、かえり道、家来がこの地蔵に祈願してみてはと話された。殿様はこの地蔵に祈願して帰った。いつしかしれずいぼがなくなっていた。それからこの地蔵をいぼ地蔵と呼ぶようになったという。」 |