大友頼泰墓 市指定史跡
「横5m、縦4mの墓域にある総高1.72mの五輪塔です。塔の四方に梵字が刻まれ、水輪は破損を受け、また火輪は後世に補ったものと推定されます。
大友頼泰は1222年(貞応元)生−1300年(正安2)没。大友家3代家督。鎌倉時代後半の武将として、とくに元寇に際しては筑前国(福岡県)の武藤資経とともに九州内の武士に対する軍事指揮権を幕府から与えられました。大友惣領としてはじめて豊後国に入国し、以後大友氏は豊後に土着して勢力を築きました。文永の役では『蒙古来襲絵詞』の中に武者姿の馬上の頼泰の姿が描かれています。法名は『常楽寺殿道忍大禅定門』、秋岡山常楽寺は菩提寺。」
大分市教育委員会 |