霊山寺仁王像
2013.10.05

大分市岡川




霊山寺の由来
「人皇四十三代元明天王の御代和銅元年の創立(約1250年前)で本尊は十一面観世音菩薩を安置し木彫で背丈1.8mの立像である。
 社説によれば、その頃田尻村に住んでいた七郎祐世という猟人が夢のお告げにより山に登って観音像を発見して罪障消滅の為に自ら剃髪して草堂を建て尊像を安置したのがこの寺の始まりと伝えられる。
 その後梵僧那伽法師の来山により山の姿がインド霊鷲山(釈尊の説法した山)と名付けられ弘仁五年天台宗と定められた。
 人皇五十六代文徳天皇仁寿年中には勅願所と定められ大友家累代尊寄附の地に寺坊三百余ヶ寺を建て郷土文化の中心として盛大を極めたが大友氏落去後衰退し、天正十四年薩豊の乱により観音像のみを残し焼失してしまった。
 元和九年六月松平越前少将忠直公(一伯公)豊後に流され津守村に居住、仏道に信仰を求め当寺に参詣され寺坊再興と発願。 現在の諸堂を再建した。」

昭和四十五年三月
霊山寺まで上って来ました

仁王門に一対の仁王像

阿形

吽形

仁王門横の水子地蔵

階段を上ると

山門

山門には多数の板彫刻絵

本堂