まちの鍛冶屋 |
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「この鍛冶屋は、昭和21年、時の町長により招かれた河野八之助氏によって興され、彼が亡くなった平成9年にその51年間の歴史を閉じた。 彼は開工後、町民の信頼を得ていろんなものの製作を依頼されるようになる。 井路に架かっていた水車(今では水車のほとんどが無くなってしまったのは残念だが)の多くは、彼の手によるものである「割り干し大根」の割り器、里芋を掘りやすい形にした鋤などもそうであり、まさにこの鍛冶屋は緒方の農業を側面から支えてきたといってもよいだろう。 生前彼は「わしゃあ看板なんか作らんで。仕事が看板じゃ」と言い、特に看板らしいものは何一つ揚げなかったが、作品に刻まれたマルハチ印が、彼の職人としてのプライドを表している。 この井路沿いは、この鍛冶屋や桶屋、畳屋、パン屋、そして造り酒屋などが軒を並べ、まさに「職人通り」と呼べるほど活気に溢れていた時代があった。 いまは鉄を打つ音も聞こえず、また木を削る風景も見られないが、当時のままこの工房の前に立つと、井路の距離感が生む独特の雰囲気も加わり、私達に職人通りだった頃の喧騒を呼び起こさせてくれるようである。」 |