今市宿場
2009.11.08

大分市大字今市




今市宿場
「今市は七瀬川と芹川との間の台地(標高450m)にできた集落で、古くからの物資の集散地でした。文禄3年(1594)中川秀成が岡藩7万石の領主として入部。今市も岡薄の領地になりました。中川氏はやがて野津原村以西の肥後街道を参勤交代道路の一部として利用するようになったのです。今市が宿場として整備されたのは慶長年間(1596〜1615)のことで、庄屋伝兵衛の祖先が藩命により開発したと伝えられています。岡蒲のお茶屋は元禄8年(1695)、上町に移されて西の御茶屋と呼ばれるようになり、延享元年(1744)に廃止されました。肥後薄の御茶屋は、寛永10年(1633)下町に移りました。宿場の東西には上構、下構と呼ぶ門があり、警護に当たっていました。」
660m続く石畳の道
東端

西端
参勤交代道路(今市石畳)
「道幅8.5mの中央部に幅2.1m、長さ660mにわたり、全面平石が敷き詰められている。更に6ヶ所、家屋に出入りするための敷石もある。
 この石畳は豊後鶴崎と肥後熊本を結ふ肥後(豊後)往還の一部であり、江戸時代、肥後藩細川氏の参勤交代道路として利用されていた。(豊後中川氏も一時期利用していたようである。)
 道路の両側には町屋が立ち並び、今市町(同藩の宿場)としてにぎわっていた。ここの宿場は一筋通の町並だったため、宿場の中が見通されるのを防ぐ意味から、町の中央を鉤の手に二度曲げている。
 県内に現存する石畳道は少なく、貴重な交通遺跡として、昭和47年に県史跡に指定された。」