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長久寺門前橋

2007.05.24

中津市大字福島

橋長:4.35m
橋幅:3.55m
単径間桁橋
架設:享保元年(1716)




浄土真宗本願寺派 田丸山長久寺
「一、開基と歴史
応仁の乱の終わる文明9年(1477)当地の地頭福島但馬守祐斎及び息女千代姫が廻国僧、天然和尚に帰依し、当寺を開基する。天然和尚は、後に京に赴き蓮如上人の弟子となり釈浄祐の名を賜り、再度九州に下った(1484)。これ以後、当寺は天然教化の豊前、防長の道場を統括し、浄土真宗の発展に重要な役割を果した。
 当寺の境内は福島田丸城跡である。豊前の国人一揆に際し、宇都宮鎮房に呼応した賀来氏(大畑城)、福島氏は黒田孝高指揮の吉川広家、黒田長政の軍に攻撃された。
 陰徳太平記には両城に於いて討取所宗徒の頭八百余級悉く獄門に掛けたと記されている。
 この時の城主は佐渡守鎮充であり、天正15年12月末のことである。当寺は細川藩の時代に復興を遂げ、浄土真宗の拠点として現在に至っている。
 歴代住職の中、16世道隠は薩摩の人信仰上の大論争であった三業惑乱で大きな功績を上げた後、当寺に入寺したが、以後豊前の地域に多くの学僧が輩出した。当寺の18世慶忍もその一人である。また21世道忍は本願寺宗会議長、宗務総長等を歴任した。
二、境内と諸堂
 現在の境内地には自然林指定の山林と二重の堀を残し、約一町五畝の敷地は落城時とほとんど同じである。
 本堂は天保9年(1838)、山門、鐘堂、経堂、石橋は享保元年(1716)の創建である。」
正面

側面

反対側

親柱