日霊(ひるめ)神社(神明宮)由緒
「御鎮座年代不詳なれど天正十六年(1588)黒田如水、中津城の築城を始め、1600年関ヶ原の戦いの後、細川忠興、中津城に入城後、当城の鬼門除けの為、中津川沿いの“音洲の森”に伊勢内宮を御勧請して鎮座すと伝えられる。
続いて小笠原、奥平諸公も崇敬篤く、藩費をもって社殿等の建築、営繕をなし、藩主公も度々参拝した。
また中津、下毛、十万石の領民の参詣も多く、旧暦正月一六日(やぶいり)の大祭には大いに賑わったと云う。
御維新前は当社は“神明宮”と申し庶民は“北門のおしんめさま”と称し崇敬しきたれり。
明治以降、日霊神社、神明宮と称し中津全般の信仰深き神社なり。
明治初年より無格社なり。」 |