堀川と一番橋
「この絵図は、江戸時代の終わり頃のものです。堀川に架かる橋が、一番橋から三番橋まで描かれています。
一番橋は石の太鼓橋、二番橋・三番橋は木の橋でした。
一番橋の北側は、運上場と呼ばれていました。
運上場には、天領日田の米蔵・中津藩の米蔵・藩の舟小屋・高札場・川口番所・運上番所など重要施設があったので、この付近は大いに賑わっていました。
古老の話では、運上場へ出入りの荷物を運ぶ大八車が太鼓橋を渡るときに後押しをしたり、また祇園祭りの山車が渡るときは総出で押したり引いたりしたそうです。
現在の標柱は、昭和62年6月29日町内有志の奉仕作業で元の位置に復元したものです。」
平成10年10月
中津市教育委員会 |