赤壁合元寺
2009.01.25

中津市寺町




赤壁合元寺(ごうがんじ)
「通称“赤壁”といわるこの寺派浄土宗西山派、開山空誉上人は天正十五年(1587)黒田孝高(如水)に従って姫路から中津に来賜した。その後天正七年四月、孝高が前領主、宇都宮鎮房公を謀略結婚により中津城内に誘殺したとき、その従臣らが、中津城を脱出してこの寺を拠点として奮戦し、最期をとげた。
 以来門前の白壁は幾度塗り替えても血痕が絶えないので、遂に赤色に塗られるようになった。当時の激戦の様子は現在も庫裏の大黒柱に刃痕が点々と残されている。また、戦死した宇都宮家の家臣は合葬し、寺内の延命地蔵菩薩に祀り菩提を弔った。その空誉上人は、宇都宮鎮房の庶子であったといわれ、文武の道に秀で世人の崇敬が篤かったため、後事をおそれ、慶長十六年、黒田長政に福岡城で誘殺された、という哀史を秘めた寺である。」
 寺内には、三浦梅園、倉成龍渚の師、儒学者藤田敬所の墓がある。後のお堂は経蔵である。」

中津市教育委員会
中津の郷土史を語る会
2日目は市内を少し散策

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