福澤諭吉旧居
2009.01.25

中津市留守居町

国指定史跡





福澤諭吉
「福沢諭吉は、天保5年(1835)に大坂の中津藩蔵屋敷で、13石2人扶持の下級武士福澤百助の欠男として生まれました。1歳6ケ月のとき父と死別し、母子6人で中津に帰郷。貧しくとも信念を持った少年時代を過ごし、14、5歳のころからは勉学にめざめ、のちには儒学者白石照山の熟で学びました。
 安政元年(1854)、19歳の時に蘭学を志して長崎に遊学、翌年からは大阪の緒方洪庵の適塾で勉強に励みました。安政5年(1858)には藩の命令で、江戸の中屋敷の蘭学塾の教師になりました。これが慶応義塾のはじまりです。
 西洋の文物に触れたいと考えた福澤は、万延元年(1860)幕府使節の護衛船咸臨丸に軍艦奉行の従者として乗り込み渡米。文久二年(1862)には、幕府使節の一員としてヨーロッパ諸国も歴訪。議会や郵便制度、銀行、病院、学校などを旺盛な好奇心をもって見聞しました。その後これらの経験をもとに『西洋事情』を著し、続けて『学問のすゝめ』『文明論之概略』などを次々と発表して、世界と隔絶されていた当時の日本人を啓蒙していったのでした。」
開館前です
2009.01.25撮影


1年7ヶ月ぶりの訪問

内部

土間

裏庭から

土蔵の話
「諭吉が少年の頃、自分で手直しをし長崎へ遊学(西暦1854年)をする十九才ごろまで、米をついたり二階の窓辺で学問を続けた土蔵です。」
以上 2010.08.13撮影