天祖(てんそ)神社
御由緒
「旧記伝承によると平安時代末期に鎮西八郎源為朝がこの地に居住し、妙見八幡様を尊崇し武運長久を祈願した。為朝没後里人が永日山頂(現社殿背後の山)に社を建て妙見、八幡様を祀った。この社が天祖神社元宮である。 永禄8年(1565)に現在地に御遷宮になった。本殿の棟札によると、この社殿の造営にあたって豊後の三老として名高い吉弘鑑理(大友宗麟の家老)が中心となり旧古後郷の有力者が神器、諸道具を寄贈している。 この頃当地に起った戦火により社殿の一部を焼失したが、江戸時代寛永20年(1644)と元禄15年(1702)に森藩主久留島公により修復された。明治6年には村社に列せられ、旧古後郷の総氏神として尊崇され今日に至っている。」 |