石造仁王像 市指定有形文化財
仁王像の由来
「この仁王像は、県内で一番大きく、石工は国東町浜崎の佐藤茂助政近の作で、文政7年(1824)この地に建立され、神仏習合の時代は多くの崇敬者から親しまれていました。 しかし、明治元年(1868)の神仏分離令によって廃仏毀釈運動が起こり、仁王像の一部が破壊され、明治4年頃に台石を残したまま仁王像のみが、西隣の元国東小学校山吹分教場入り口に移転されていたと考えられます。 この度、国東町給食センター建設に伴い、地元区民の強い願いと関係者のご理解で、元の台石に130年ぶり(平成14年4月27日)に無事遷座復元されました。 堂々とした風格が漂う一対の仁王像が、神社の神門前に立つ姿は珍しいと注目されています。 下の刻字は、淫禍 善福 とあり、淫らな行為や禍いを戒め、善くして福となし、外敵を押し退け心を清らかにして参拝する意味であります。」 |