千燈寺跡
2005.10.10
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国東市国見町千燈
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千燈寺跡 県指定 「千燈寺は天台宗六郷満山二十八ケ寺の内正宗分中山十ケ寺中の本寺で末寺十六ケ寺があった。山号補陀落山 寺名 千燈寺 開基仁聞天正年間大友の兵火により本末寺院仏閣並に寺領千石共没収され寺僧離散し廃寺となる。文禄年間再興に向い当時七堂伽藍を擁し衆庶の崇敬信仰篤く中興なるも明治維新後末寺分離した 近くに仁聞の墓 五輪塔群 奥の院 六所権現仁聞入寂の岩屋等がある」 こわすまい みんなの宝 文化財
国見町教育委員会 |
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2004年7月25日と2005年1月22日の2回探しましたが何故か分からず、今回ようやくたどり着きました
ここから旧道を登りました
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西行戻し 地名伝承
「平安時代末期、京都御所の北面の武士であった佐藤義清は平家の没落を見て、世をはかなみ西行と名を改め、真言僧となり、全国行脚の旅に出た。 九州に渡り、六郷満山の千燈寺の住職の器量をみようと、登ってここまできた時、たまたま小僧が錦を持って下って来るのに出会った。そこで西行は小僧に向かって「その錦は売るか」と言ったところ、小僧は即座に「谷川の瀬に住む鮎の腹にこそ うるかと言へるわたはありけれ」と和歌で答えた。「小僧でさえこれほどであれば、和尚の器量は見なくても分かる」と、ここで引き返した。それでここを西行戻しと言うようになったという。」 「売るか」 「うるか・・・鮎のはらわた」
案内板より
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鳥居があり、石畳の山道が続いています
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しばらく石畳の道を進むと石垣が見えてきます。その上が千燈寺跡です
以上 2005.10.10撮影 |