世界を歩いた最初の日本人 ペトロ岐部カスイ 天正15年(1587)〜寛永16年(1639)
「江戸時代初期の邦人司祭。ペトロは洗礼名、カスイは号。国見町の豪族岐部氏の一族で父はロマノ岐部、母はマリア波多。長崎・有馬のセミナリオで学び、イエズス会の同宿(伝道士)となる。慶長19年(1614)に宣教師が国外に追放され、翌元和元年ペトロもマカオヘ渡るが、司祭叙階への希望を絶たれ、ローマを目指す。インドを経て、元和5年(1619)日本人として始めて聖地エルサレムを訪れた後、岡6年ローマヘ至る。同年ラテラノ教会で司祭に叙階され、イエズス会入会を許され、聖アンドレア修練院に入る。同年8月帰国の途につき、マドリード、リスボンを経て寛永元年(1624)年インドに至り、翌年マカオに到着。帰国の機会を得るためシャム(タイ)に行き、マニラを経て同7年ルバング島を出発して薩摩の防津に帰着。長崎から東北に移り、迫害下のキリシタンのために働いていたが、同16年仙台藩で捕えられ、江戸で穴吊しの拷問を受けるが、棄教せず同年52歳で殉教した。」
ペトロ岐部カスイ神父偉徳顕彰会 |