宮処野神社
2015.08.02


竹田市久住町大字仏原




宮処野神社
「宮処野神社は、景行天皇がこの地方の土蜘蛛を征伐した際の行宮跡に天皇をお祭りしたことに始まると伝えられている。
 その後、平安時代に直入擬大領の女『腎媛』が嵯峨天皇の采女となる。上皇崩御の後、故郷来田見に帰り剃髪し尼となり、恩賜の品を産土の境内に埋めて日夜勤仕する。女の兄はこれを見て哀れみ景行官の傍らに神宮を造営した。これが現在の神社の起源で『嵯峨宮様』と呼ばれ永くこの地方の人々に崇敬され、明治になって宮処野神社と改称された。

宮処野神社の神保会行事 県選択無形民俗文化財
 例大祭は『神保会』と呼ばれ、新任国司が有名神社へ神宝を奉った祭儀をさす神宝会に由来すると云われている。
 江戸時代の記録によれば、多くの『祭禮市』がたち多くの参詣者でにぎわっていた様子がうかがえる。現在もその伝統を残して十月の第二土曜日にお祭りが行われている。

宮処野神社の社叢 県指定天然記念物
 敷地面頼約11,500uに神社が建立されており、その周辺には推定五百年前後の老杉を中心にトチノキ、カヤ、タブノキ、サカキ、モミジなど多くの巨木が生い茂り社殿とよく調和し、参拝者の心を和ませ『洗心のやしろ』として崇められている。」
宮処野神社社頭

参道を進むと

神門

社殿

境内の大杉

御神木

大杉が多く生い茂っています