瑞巌寺磨崖仏

2005.03.27

九重町大字松木




大分県指定史跡

「この磨崖仏は向って右から
多聞天(1.70m)
矜褐羅童子(1.61m)
不動明王(2.26m)
制多迦童子(1.62m)
増長天(1.70m)
 の五体が半肉彫りされている。多聞天(北方の守護)は別名毘沙門天ともいい、持国天(東方)、増長天(南方)、広目天(西方)とともに四天王と呼ばれ須弥山の四方を守る天部として有名である。矜褐羅、制多迦童子は不動明王の眷属の八大童子中のニ童子である。制作年は鎌倉時代初期説と室町時代中期説があるがはっきりしない。瑞巌寺は養老年間(717〜723)に国東六郷満山を開基した仁聞の創建になると伝えられる。後に龍門寺の末寺十二坊の一つとなるが、天正十五年(1587)正月頃の大友・島津の戦いの折、兵火にかかり堂宇を焼失、廃寺になったと伝えられる。」

九重町教育委員会