宝八幡宮
2005.02.06
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九重町大字松木宝
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御由緒
「当神社の社記によりますと、宝八幡宮の大神たちは、奈良時代養老2年(718年)2月初卯の日に、霊峰宝山に八幡神社の総本社宇佐神宮より御出現に成りました。『豊後国史』に、“国司奉奏して祠を建て郡の総社となす”とあるごとく、古来より上下の崇敬特に篤いものがありました。ことに鎌倉時代初期建久年中、大友初代能直公当国所領の頃より、社頭いよいよ繁栄するに至り、能直公は当神社を“豊後七宮八幡”の一つに数えられ、命により御社殿の御造営を仰せいだされました。時移り戦国時代・天正14年(1588年)薩摩の島津義弘の軍勢が当郡に乱入した折、兵火にかかり社殿を始め各種建造物・古文書・御神宝類に至るまで、悉く焼失・散逸しましたが、崇敬他に異なりしをもって、江戸時代にいたっては日田郡代をして篤く敬祭をなさしめました。古来より郡の宗廟として崇敬篤く、第三鳥居の右柱に『神宮寺八幡大菩薩御寶前』とあるごとく、明治維新までは神仏一体の信仰を守ってきました。また江戸時代明和8年(1771年)には、摂家門跡であります京都の随心院御門跡より御神燈二張の寄進があり、慢幕などに菊の御紋を付けることを許可され、御祈願所とされました。また天明4年(1784年)には神祇道管領吉田良延公より、『宝山総社八幡宮』と奨氏奉る旨の神宣を賜り、今御本殿の正面の額にかかげてあります。昭和初期・昭和天皇の御大典記念には、県下三社の内に加えられ神苑工事を行い、近年は大駐車場・参道も整備され、今日に見るがごとき荘厳なる御社頭になりました。」 |
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以上 2005.02.06撮影
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奥宮の妙見宮は、徒歩で30分と書いてあります。ここから宝山を890m登ったところにあります
2005年11月23日、いよいよ登山に挑戦です
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あと415m地点でリタイヤ
疲労のため手ブレでピンボケです
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リュックの中身はロープ、缶ジュースを買い忘れたので持ち合わせの2LTのペットボトルのお茶、竜門の滝で買ったおにぎり、交換レンズ
少し重過ぎました。途中でリュックを降ろしましたが、時すでに遅し、息が切れ死にそうでした
以上 2005.11.23撮影 |