宝生寺
「宝生寺は、近衛天皇の久安年中鎮西八郎源為朝公がはじめてこの地に建立したと言われている。
現在、本堂仏壇の向って右に安置されている等身大の十一面観音坐像が、俗に「為朝公背負い仏」と称されて、当初の本尊であったという。宇佐八幡の化身で源氏累代の鎮守仏であって、国家鎮護、武運長久を祈って祀ったという。
その後、宝徳二年 豊後の大守鎮西探題大友出羽守親隆の祈願によって再建されるまでは相当に荒廃していたらしい。国守の権威をもって再建された宝生寺は、諸堂完備並びに塔頭六箇院造立とある。寺領として宇田枝名百貫文を寄附せられ、庫下豊富とあるから実に豊かな大寺であって、平常の僧衆は百指を数えたという。古荘梅谷翁の八景詩序には、宝生寺を以って大友出羽守親隆公の香華院となす、とある。」 清川村教育委員会
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