大龍寺の梵鐘
2013.11.10


宇佐市院内町西椎屋




昭和五十九年三月十五日
梵鐘里帰り法要
福岡県芦屋町安楽寺住職表白文
「表白
恭々しくおもんみれば安永三年今より弐百拾年前の正月豊前国宇佐郡西椎屋の里大龍禅寺に梵鐘が出来 以来百七十年の間人々の心の糧として静かな音色を伝へて来ましたが 太平洋戦争末期勅令のもと余儀なく供出され北九州へと送られました 幸にして程なく終戦となり原型のまま戸畑市に残されて居ました 先代住職のお力及び芦屋町岡田鶴亀先生の御篤志によって当安楽字の鐘楼につるされ戦後のすさんだ山鹿の人々の心に安らぎを与へてくれました 昭和四十一年当寺に於て親鸞聖人七百回大遠忌法要を期に新しい梵鐘が吊されその役目を果した此梵鐘は新しい鐘の許に安置されていました その事が芦屋町の郷土史家藤本春秋子先生の郷土史に紹介され藤本先生の友人である大分県安心院町田ノ口丹生忍刀斉画伯の目にとまり更に丹生画伯の縁者院内町荻迫山崎健氏を介し 此梵鐘が椎谷山大龍禅寺のものである事が確認されたのであります 此度丹生画伯 山ア健氏の働きかけで 梵鐘の里帰り運動がはじまり 西椎屋部落の方々が当寺に参詣四十年ぶりになつかしい梵鐘と再会 目をうるませながらその刻字を見 間違ひなしこの梵鐘の許で子供の頃遊んだ思出を話され今はなき大龍禅寺のあった事を後世に伝ふべく 梵鐘里帰りを●●れました当安楽寺におきまして 急拠総代会を開き梵鐘里帰りを仏縁と喜び御同意申し上げた次第であります
本日ここに梵鐘里帰り法要に当り 有縁の人々相集い懇ろに聖経を読じゅして広大の仏恩を謝しまつらん
敬って白す」
大龍寺の梵鐘

由緒書き