耶馬渓羅漢寺畧縁起
「当寺は六百四十五年、孝徳天皇の大化元年にインドよリ法道仙人が波来され、地形が釈迦牟尼仏の聖跡耆闍崛山を彷沸させるところに感じ、久しく、この洞中に留まられました。
去るに当って念持仏として捧持された金銅仏一矢躰を残されたのが当寺の始めと伝えられます。後、平安時代には山岳仏教の霊地として天台宗の時期もあった様です。
1337年、後醍醐天皇延元二年、臨済宗祖栄西禅師四代の仏孫円龕照覚禅師が十六羅漢、五百羅漢、の石像を安置し羅漢寺を開かれました。以来臨済宗二十六代を経て、1600年慶長五年に長洲深川大寧寺より鉄村玄策禅師が入山され曹洞宗に改まってから現住職まで二十七代であります。
江戸時代は東照宮をまつり、徳川家より百石を給され、三葉葵の紋章と十万石の格式を許され、毎年正月、全九州大名の城代家老が参集する日田代官所での年賀式では最上席であったとされています。
又曹洞二代伝室玄宅禅師は細川三済公に招されて熊本に行き、水前寺の開山になっておられます。
当寺大開基は足利義満公 中興大開基は細川忠輿公(三済)なお現本堂は昭和十八年類焼に会ったため、昭和四十四年に再興しました。」
山主敬白
中津市観光協会 |