姫島庄屋 古庄(こしょう)家
「古庄家は、建久7年(1196)鎌倉より豊後に入国した大友能直の宰臣古庄四郎重吉を祖とする。
文禄2年(1593)大友氏が太閤秀吉の怒りに触れ所領を没収されたため、古庄徳右衛門は諸国流浪の末、慶長15年(1610)姫島に渡り、元和8年(1622)島民に推されて里正となった。
以来、明治4年(1871)の廃藩置県まで12代、250年にわたり、杵築藩に属する姫島の庄屋として村を治め、甘藷の導入、防波堤や塩田の築造等多大な功績を残した。
当屋敷は、第11代小右衛門逸翁によって天保13年(1842)に建築され、完成までに3年の歳月を要している。敷地550坪、母屋は寄棟造りの一部2階建で延建坪110坪、一階10部屋、二階2部屋から成っている。
書院造りの奥の部屋は、藩主のために普請されたもので“御成りの間”と呼ばれている。
庭園には藩主の駕籠を下したといわれている二畳敷大の大石がある。」
姫島村 |